すごいニュースがとびこんできた。
「母親が1歳五女の点滴に腐った水」というタイトルでスポーツ報知に載った記事。
なんでも入院している1歳10か月の女児の点滴に、腐敗した水を混ぜて死なせかけた容疑で逮捕されたってことだよ。
点滴の管に注射器で腐敗した水を注入したんだそうな。すごいね。水はスポーツドリンクを混ぜて放置して腐らせてたんだってさ。すごいね。すごいね。世のなかにはいろんなひとがいるんだね。
死亡した女児は容疑者の五女だそうで、これ以前にも次女、三女、四女が4歳になるまでに病院で死亡しているんだとか。
どうもこの母親は病院側からも虐待を疑われていたようだね。「オムツに含まれる物質が尿の中に混入」していたり「血液に存在しない細菌」が確認されたりしていて、警察と協力して治療室をビデオ録画してみたんだって。で、不審な行動をくりかえしたあげく、警察に現場をおさえられて逮捕、と。
その病院には転院してきたみたいだね。もしかしたら、前の病院でも疑われていたのかもしれないね。
このあたりがぜんぶ事実だとしたら、背筋が凍るような話。
でももっと不気味なのが、容疑者の供述。
「ICUに入っていても、病状がものすごく悪化すればずっと看病できる。死亡させるためにやったのではない」
よくわからない言いぐさだけど、看病したいから腐った水を注入したってことだよね。でも、これ以前にも同じようなやりかたで自分の娘を三人も死なせてしまっている……のかもしれない。
死なせるためにやったのではないっつったって、あんた。
あたまがおかしい……のかどうかは私が判断することでもないけど、まあそうとしか思えない。
でも私にとって不気味なのはその点じゃない。
娘の看病をしたいあまり、病気の状態を人為的につくりだす母親。
きもちわるいったらありゃしない。
実際にどうなのかはわからないけどね。
私は、この母親は「子どもを抱きしめて窒息させる」タイプの人間だと思ったよ。
子どもかわいさのあまり、ちからいっぱい抱きしめて殺してしまうのさ。
これを愛情というひとがいるかどうか、アンケートをとってみたいよね。殺してしまうのはあり得ないけど、愛情がおおきすぎるからと同情するような意見が多そうな気がするよ。
断固として認めないけどね、私は。
こんなの愛情じゃない。
何度もくりかえしているこの母親の行状をみて、その確信が深まったよ。
単に無力な小児を支配して全能感を味わいたいだけの、存在理由欠乏型の究極利己主義型狂人の愛情欠落人間だよ。
認めないね。
ぶっちゃけ、おれはこの記事をみて快哉をさけびたい気分なのだよ。
ほらみろ、おれの思ってたとおりじゃねえか、ってね。
おれが四十五年間も苦しんできた原因は、やっぱりあの狂った母親のせいなんだってね。
いや、べつに上の記事の母親みたいに、私の母があきらかに脳みそ壊れちゃってるわけじゃないよ。多少神経質でかなり心配性だけど、世間的にみれば、ふつうの、というか、むしろよい母親と評価される人物だと思うよ。
世間的にみればね。
でもおれはあえて「狂った母親」と断言したいね。
極論だと承知の上でね。
愛情じゃないよ。
愛情は、たとえ無意識下であれ、子どもの成長を阻害したり失敗を誘発したりして、自分の庇護のもとから逃げ出さないよう鳥かごに閉じこめるような行為とは、断固として別のものだよ。
さらに上の記事の母親は、その行為さえ粗忽さにあふれかえっていて、死なせてしまったり、それを何度もくりかえしたりしている――らしい。
失敗体験の連鎖だよ。
成功してはいけない、自分の庇護から離れてはいけないという隠れメッセージに忠実に盲従してきた結果の、不幸の連鎖だよ。
そういう意味では、この母親は加害者であると同時に被害者でもある。
被害者でもあるんだけれど――同情はしたくない。できない。
だって、おれだって被害者の末端なんだから。
きもちわるい。
こんな末端のおれだって、客観的にみてきもちわるいんだろうね。
それがすべての不幸の源なんだよね。
おれが悪いんじゃないんだ、と叫びたいけどさ。
※この記事は2008-12-25 22:32:03にアメブロに投稿した記事を移転したものです。
なお、移転元の記事は削除済です。