2013年12月27日

読書録─『子どもの気になる性格のなおし方10則』

読書録─『子どもの気になる性格のなおし方10則』福島脩美/サンマーク文庫

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『子どもの気になる性格のなおし方10則』



 分類すれば、ハウツー本の一冊に過ぎまい。よい意味の、ハウトゥ本だと思う。内容は平易できわめてわかりやすく、指針ははっきりしており、その理由もきわめて明快に示されている。この本のとおりに実践できれば、子どもはすくすくと、のびのびと育ちそうだとすなおに思える内容だ。

 もっとも、それが正しいかどうかは私にはわからない。結婚するつもりも、まして子どもをつくるつもりも、かけらもないのだから、実践する機会は絶えて訪れることはない。

 それでも、この本を読んでいると絶望にまみれた世界にも、希望がわいてくる。各家庭に一冊、この本を常備するよう法制化すべきだとさえ思う。大げさに過ぎるといわれてもしかたがないが──まあ、少なくとも、害にはならないんじゃないかな。

 というわけで、覚書的に気になった部分等を引用いたします。

 太字部分は原書のままです。私が強調しているわけではない。というか、ハウツー本らしく原書は太字部分が頻繁に出てくるわけだ。





<引用開始>ハーローは何びきかの赤ちゃんザルを、針金のロボットしか入れていない、落ち着くことのできないおりの中でずっと育ててみました。すると、成長するにつれてそのサルたちは、困った状態を見せるようになったのです。あるサルは、ひっきりなしに貧乏ゆすりを続けるようになりました。あるサルは、しょっちゅう指をしゃぶり、またあるサルは、自分の腕をかみ続けるというくせがついてしまいました。このようなサルたちは、ほかのふつうのサルたちと一緒にしてやっても、仲間に入っていくことができず、群れの中で一ぴきでしょんぼりしていたのです。/さて、サルの情緒の発達のすじみちも基本的には人間と一緒で、まず“不快”から恐れや怒りが出てきます。それをお母さんザルが温かく受け止めて、和らげてあげれば、赤ちゃんザルはまた元気を取りもどし、安定した情緒をもつことができます。針金ロボットと暮らして育ったかわいそうな赤ちゃんザルたちは、“不快”や恐れをいやしてもらうことができなかったために、大きくなっても情緒の不安定に苦しんでいたのです。/子どもにとって、お母さんのいちばん大切な役割は、子どもが感じた恐れや怒りを和らげてあげることです。人はだれでも、恐れや怒りを経験しないわけにはいきません。しかし、お母さんがそれを和らげ、いやしてくれるならば、子どもはもう一度、その怖いもの、いやなことに対面する勇気をもつことができるのです。それを生み出すのは励ましではなくて無条件の絶対の愛情、温かさだということをしっかり覚えておいてほしいのです。/赤ちゃんが抱いた“不快”や恐れや怒りの感情が、お母さんの愛情によって和らげられ、情緒が安定していると、やや遅れて育ってくる得意とか愛情といったプラスの感情がすくすくと発達し、それが今度は恐れや怒りを克服する力になります。/お母さんが赤ちゃんに無条件の愛情をそそぐことはいつでも大切ですが、それがとくに必要なのは、赤ちゃんの心の中に恐れや怒りの感情が芽生え、しかも得意、愛情などプラスの感情はまだ生まれていない時期、一般には生後六ヶ月から満一年ぐらいまでの間だといえます。<引用終了>(p.110-111)

 私のような人間は“得意”や“愛情”を与えられなかったのだな。というより、私の親自身に、おそらく“愛情”の持ち合わせがなかったんだろうな……。





<引用開始>あるお母さんは、せっかく自立しようとしている子どもを引き止めたり、じゃましたりして、いつまでも自立できないようにしてしまいます。いわゆる過保護ママがそれです。そうかと思うと、まだ自立への準備ができていない子どもを、むやみとせきたてるお母さんがいます。子どもが「もういいかい?」という前に、「さあ行きなさい。何をぐずぐずしてるの」とせかしてしまうのです。準備ができていないのにせきたてられると、子どもは不安におちいって、心配性とか、イライラして落ち着きがなくなるといった、困った性格をつくる結果になりがちです。これは過干渉ママがおかしやすい間違いです。/もう一つ望ましくない形は、お母さんの期待や願望が先に立って、子どもの個性にはおかまいなしの指導性を押しつけてしまう場合です。これでは、子どもの個性を伸ばすことができないだけでなく、情緒的にも混乱を起こして、性格に暗さが出てしまいます。<引用終了>(p.128-129)

 子どもがはいはいをやめて一人立ちしようとする時に、(無意識にであろうが)自分の全能感を剥奪されることを恐れてそれを表情に出してしまう親。その表情を正確に受信して、成功しないことや成功を遅らせることで親の意に沿うてしまう子ども。相互依存の図式だが、子どもに選択の余地がないことは明白だろう。親や家族のせいにして甘えているとは、我々のような人間に対するにあまりにもありふれた非難の言だが、そもそものスタート地点から、我々は自立することを妨害されているのだということを少しくらいは理解してほしいものである。後半部分の、準備ができていないのにせかす親というのも大いにうなずける。成績を上げるための勉強などを、眉間にしわをよせて興奮しきりに強制される状況で、どうして一人で生きていくことを学べばいいのか。おかしくならないほうが不思議だと考えるのは、それほど不思議なことなのか?





<引用開始>子どものよい性格を伸ばしていくためには、子どもに接する親の態度が一貫し、安定していることが大切です。そのときどきの気分や状況で親の態度がクルクル変わっていては、子どもはどうしてよいかわからず、混乱してオドオドしてしまいます。/(中略)/子どもがお母さんの思うようにならないそんなとき、子どもにはそれなりの理由があったはずです。子どもは泣いたりぐずったりという手段で、お母さんに援助を求めていたかもしれないのです。/それなのに冷たく突き放される経験を何度かもった子どもは、なんとかお母さんを怒らせないようにしようと、始終お母さんの顔色を見るようになります。ときたま、何かをいったりするとき、大人の顔をチラッ、チラッとうかがう子どもがいますが、これは多くの場合、お母さんの指導性が強く出すぎ、しかもそれが一貫していないために自信を失っている証拠です。/この状態が長く続くと、万事に消極的でいじけた性格をつくりかねませんから、そういう徴候に気づいたら、子どもに対する要求を少し軽くして、楽しくゆとりのある雰囲気をつくるよう心がけてください。<引用終了>(p.138-139)

 まさしく俺は、誰かの顔色をうかがって生きさせられている。つねに誰かの機嫌を損ねたり期待を裏切ったりすることにびくびくとして、何かに追われ続けながら、疲れたからだに鞭うち地獄をよろよろと歩かされている。まるで小突きまわされている気分。





<引用開始>反対に、苦手だと思いこんでいることを、無理にさせられている子どもは目が死んでいます。自分の頭で考えようとせずに、いわれたことだけを、なんとかかっこうをつけようとします。早くやめたいな、逃げたいなと思いながらやっているのですから、たいへんな努力と辛抱をしているわりにはいっこうに進歩しません。それでまたやる気を失ってしまうのです。/こういう苦手に悩んでいる子どもに対して、「もっとしっかりやりなさい!」とハッパをかけることは、多くの場合よい結果を生みません。子どもの負担感はますます重くなって、そのことがさらに嫌いになるだけでなく、性格全体に暗さ、消極性が出てきます。(p.154-155)

 これもまさしく、好きでもない勉強をむりやりやらされている子どものころの私そのものだ。怒りがこみあげる。人の育てかたをきちんと理解できていない人間が、子どもを産み育てるなど犯罪に等しいと断言したい。もっとも、子どもの育てかたなど最初から知っている人間などまずいないことは無論理解できる。だから、学校で勉強など教える必要はない。読み書き計算ができればそれでいい。それ以上の勉学は、適正に応じてやりたい者だけ志せばいいのだ。むしろ教育すべきは、子どもの育てかたじゃないか。





 引用は以上。

 私は育てられ損なった人間だ。人形扱いされ、良い子、つまり親にとって都合のいい人間、善悪とか道徳とかいう美辞麗句に飾り立てられた親のエゴと復讐をヘドロのごとく塗りつけられてイビツに歪みまくり、幸福を感じることのできなくなった蔑むべき──あえて明記する──かたわ者だ。こんな、かたわ者を作成した親を心底憎悪しているが、それだけに親には何も期待できないことを痛感してもいる。

 自分を自分で育てるしかない。

 だから、この本のように明快に指針を示してくれるマニュアルはきわめて貴重だ。なかなか思い通りにいかないだろうことは無論わかっている。でなけりゃ、おれだってとっくに多少はまともになってるだろう。





 マニュアルという言葉を出したついでに、もうひとつ社会批判。

 マニュアルを害悪視する風潮は私の青少年時代からあたりまえのように蔓延していた。正論だが、欠けている。かつての社会では、コミュニティがひとを生育させる機能を有していたのだ。現代社会にそれは、決定的に欠けていることを否定できる人間などいまい。というか、否定するバカは現実がみえていないか目をそらしているだけの、人間のクズである。ひとを生育させる機能がない以上、マニュアルに頼るくらいしか指針はない。

 マニュアルを捨てろと無責任にいい放つバカは、それに変わるもっと有用で実質的な、生きかたの見本を示してみせろ。でなけりゃ、利いたふうなことをいうな。こういう想像力のかけらもない脊髄反射言語を口にしているバカどもより、田んぼでかしましく鳴きかわすウシガエルのほうがよっぽど気がきいているというものだ。





 こんなこと書いても、どうせ反論すら出てこないのだろうな。

 はりあいがないねえ。



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『子どもの気になる性格のなおし方10則』



※この記事は2009-12-20 23:24:59にアメブロに投稿した記事を移転したものです。

なお、移転元の記事は削除済です。


 

posted by 青木無常 at 20:00| デリー 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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