2013年12月29日

読書録─『石に泳ぐ魚』

読書録─『石に泳ぐ魚』柳美里著/新潮文庫

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『石に泳ぐ魚』


『自殺』の読書録にも書いた柳美里の問題作である。顔に腫瘍のある女性を侮蔑的に、また本人には無断で描写したとの廉で告発され、出版禁止とされた作品であり、差別やプライヴァシーの問題と言論の自由とが戦い、後者が敗れたという、まあいわくつきの作品である。入手困難と覚悟していたのだが、BookOffで105円のコーナーにあっけらかんと並んでいるのを見つけてレジへ直行。

 一読、出版された理由がはっきりとした。明らかな改訂版である。問題の女性の外面的な描写が、おそらくはほとんど削られている。予備知識として上記の顛末が頭にあったから混乱は少なかったが、何も知らずにこの本を読んでいたら意味がわからない部分や甚だしい勘違いを惹起される部分がきわめて多いかもしれない。





 確かに、顔に腫瘍がある、という部分を最初から組み入れなかったとしても、この小説は完成し得たかもしれない。だがこの登場人物の性格形成の過程において、顔に腫瘍があるという事実が大きな影響を与えたであろうことは考えるまでもなかろう。そういう意味においては、容貌が醜悪であるということを削って作品化することは不自然な作業に他ならない、といっていいと思う。

 だから勝手に他人のプライヴァシーを作品化してよいか、という問題になると……極端ないいかたをすれば、私小説という手法そのものがいくらでも否定され得る内容を内包することとなる。間口を強引に広げれば、完全なフィクションであってもいったもの勝ちで出版差し止めに陥れる状況を創出することも不可能ではあるまい。素人とはいえ創作者のはしくれとして、歓迎しがたい状況ではある。無論、プライヴァシーを暴くことで誰かに不利益を与えたり心情を傷つけたりしたいわけでは全くない。その意味でいえば裁判の結果も妥当、と思えなくもないが、恣意的に、たとえば作家個人へのいやがらせを行うために裁判を起こすことも可能な前例とならないとも限らない。結論など出ない憂いであることは承知の上だが、歓迎すべからざる状況であることもまた間違いない。





 もうひとつ、この作品が、というよりは、柳美里という作家そのものが、微妙な揺らぎを内包している。在日朝鮮人という揺らぎだ。

 私個人でいえば、知識以上の実感はまるでない。青少年時代において、周囲に差別的に扱われる在日朝鮮人はいなかった(もしくはいても気づかなかった)し、46歳になる今日まで知人ですら在日の人は数えるほどしかいない。正直にいえば、生活圏内において彼らの存在を実感したことがない。親しい人間が在日の人々に対して差別的な発言をするのを耳にしたことくらいならある。きいていていい気分がしなかったのは確かだが、実感がないのだから、感想も特にはない。余談だが、部落問題も同様。市、町、村のつぎの、村よりもっと小規模な単位を部落とか集落とか呼ぶのだ、と父親に教えられていたので、部落という言葉が差別と分かち難く結びついているのだと知ったのは大学生になってからだったと思う。

 無論、だから私には差別意識などない、などというつもりもない。





『自殺』を読んでいるときは、どちらかというとこの柳美里というひとにはそこはかとない好感を抱いていた。『まれに見るバカ女』で目にした罵倒が不当に思えてならなかったものだ。

 が、本書を読んで、見方がかわった。本書の主人公の言動には、正直いってきわめてイライラさせられる。主人公のみならず、登場人物のほとんどがきわめてイヤなやつばかりだ。仕事場への往復の電車内で読んだのだが、精神衛生上きわめてよろしくない行為であった。不快に苛立ちをかきたてられた気分で往復しているのだから、生活にもよろしくない影響を及ぼさなかったとも限らない。

 今回はそのあたりを中心に、あらすじではなく、登場人物別に、主にどういう風に嫌悪感をかき立てられたかを書き連ねていこうと思う。

“純文学”だし、特にネタバレしても問題ありそうな部分も見当たらないので、今回はネタバレ防止の白字はありません。だからといってネタバレなし、というわけではなく、あらすじはおおむねわかってしまうと思うので、この先読むならどうぞ自己責任で。





・台本作家の秀香。主人公で在日朝鮮人。

 劇団を主宰する風元と恋愛関係にある。風元は独身なので不倫関係とはいえないが、印象としては不倫という言葉をあえて使いたい雰囲気が濃厚に漂っている。実をいえば“恋愛関係”という言葉はどうもマッチしない。“依存”を使えばマッチングは完璧くさいが、そういう意味で便利すぎるので使いたくない。

 彼女の台本を採用したのは風元らしいが、あまり重用している雰囲気もない。むしろ、二人の関係を支配するためにわざと軽視しているようにも思える。さらには役者の反応も、彼女の自信とはまるでずれた評価を思わせる。そのためジレンマが大きい。

 また、小さいころから見知らぬ人物に平気でついていく性癖があるとのこと。コミュニケーションを求めているわけでもなく、正直意味がわからない性癖だ。エヴァンゲリオン劇場版の終わりかたと同じように、わかる人には理屈でもなく言葉にもできないがわかる類の性癖であろうか。とにかく理解できないから解釈もできない。“意味もなく見知らぬ人についていく”性癖があるとしか描写し直せない。それとも、父親的なものを捜して彷徨、というような感じのありきたりな分析をあてはめてみるのが常道なのかな。よくわかんねえな。

 小説全体で、周囲の身勝手な言動のひとびとに翻弄される、というよりは流されるままに流されている印象があるが、内包する怒りや憤りは小さくないようにも思える。子どものころ、小動物を殺すのが好きだったという描写も出てくる。

 流されるままに韓国にいき、というよりは、いかされ、相手のあまりの身勝手さについに怒りを爆発させるが、その後も行動にたいして変化は見られない。コミュニケーションがうまくいかないことをきっかけに屋上から自殺しそうになる不安定さ。夜中に視線恐怖におそわれることも。

 風元の他に劇団の写真家の辻とも関係をもつが、妊娠を機に一気に疎遠になる。堕胎は3回目らしい。結局子どもは死んでいたが、手術の必要があることが判明。

 風元に預けていた猫を引き取りにいった際、劇団の女優が裸で布団の中にいるのを目撃して逆上。どうも、誰かにふりまわされるか、誰かをふりまわすかの二極間を漸近的にふれている模様なり。歪んだ家族の影響でコミュニケーションの形態が限定されていると解釈すればわかりやすいだろうが、どうなんだろう。

 里花という韓国の女性にふりまわされる感があり、美大を受験して合格したら同居しようと強引に、というか一方的に提案され困惑させられるが、都合で里花から同居の延期を告げられると失望するという、これも二極的な反応。

 で、過酷かつ凄惨な手術の描写。





・里花。顔に腫瘍のある女性。

 韓国人で、風元の劇団に当初所属していた女優のゆきのの友人。秀香の韓国行の際、自宅を宿泊に供する。柿の木の男とならぶ、本書のキーマンの一人。

 初登場の段階で、明らかに容貌に関する描写が欠落している。タイトルの『石に泳ぐ魚』は、彼女の顔の描写に関係があるのかもしれないと思われる部分があるが、詳細は不明。

 韓国では秀香と行動をともにし、割とまともな感じに描写されているが、この人物も他の人物に負けず劣らず、秀香の意向や感情を無視した言動をとる傾向があるように私には感じられた。もっとも、秀香にとっては彼女の存在は他の人間とは一線を画するらしく、秀香にいわせれば、依存とは無関係に交流できる数少ない人物の一人ということになるようだ。正直、他の登場人物とどこがそれほど違っているのか、私にはよくわからない。終始、好意的に描かれているような気がしなくもないが、正直、こちらの意向を全く斟酌せずにずかずか自分の意を通しつつ踏みこんでくるめいわくな人物のひとりという印象しか残っていない。

 たとえば、秀香が日本に帰国したあと、突然電話をかけてくる。日本の美大を受験する旨、あらかじめ手紙は受け取っていたが、急に渡日してきたらしい。会いたいという。読んでいて非常に衝動的な印象を受けた。衝動的に動いて周囲の人間に負担を強いるタイプの印象。

 で、鏡張りの店に二人で入る。秀香はおちつかないから他の店にしようというが、きこえなかったのか、無視したのか、里花はすでに席についている、といった具合。

 それから外に出ると、急に里花は秀香に、自分の顔のことに触れないのはなぜかと詰問してくる。さまざまな想いが秀香の内部で去来するが、結局言葉にはならないまま、気絶。唐突だな。

 で、受験前に再び連絡してきて、試験に提出する作品の運搬を手伝えと、これも有無をもいわせぬ雰囲気。その上、合格したら秀香のマンションに住みたいといいだす。

 小説の終盤近くで、秀香が前島という男から戯曲の台本の依頼を出され、渋谷で会見する当日、またしても突然電話をかけてきて会いたいといいだし、打ち合わせがあるからそのあとでと秀香にいわれると、あろうことかその打ち合わせの席に同席すると(したいと、ではなく)いい始める。しかも遅れてやってきて、初対面の前島に、端役でもいいから自分も秀香の書いた芝居に出たいと突然言い出し、前島に一蹴されるが気にする風もなく、いつか自分が主演・演出で二人で芝居をやろうと脈絡もなく秀香にいう。その帰路に、秋になったら寂しくなるからそのとき一緒に住もうといいだす。

 で、里花が世話になった書道の大家に、いっしょにあいさつにいくことにされてしまう(これもきてほしい、とか、きてくれ、ではない感じ)。先生とその母である二人の老女は華やいでいた。秀香は泊まっていけといわれるのを振り切って帰路につく。

 だがその後、里花は突然韓国に帰国。以前秀香が韓国で紹介された、里花の大学のサークルの女性が、新興宗教にはまってしまったので、彼女を救出にいくつもりらしい。一人ではいられない人たちのサークル仲間だった。

 そのまま予定を過ぎても里花からの連絡はなく、ゆきのに電話してもらうと、ミイラ取りがミイラになったという。韓国に乗り込み、教団施設でようやくのことで里花とと再会するも、はかばかしい成果は得られず。里花は教団でくだんの女性とはまだ会えていないことを身振りで伝えてきたが(施設内部では監視されている様子)、里花自身が教団に取り込まれてしまったのか、救出すべき女性と接触できる機会を待って内部にい続けているだけなのかは明確には描かれていない、というか、私が読みとれなかっただけかもしれないが。ともあれ、この会見の場面で、秀香が里花を狂おしく必要としている描写が語られるが、どうもピンとこない。他の依存関係と里花との関係がどうちがうのかが、というか、同じにしか私には見えない。





・金智海。韓国から“演劇を勉強するために”日本にきている人物。本書においてもっともストレートにイヤなやつ。出てくるだけで腹が立つ。作者の掌の上で踊らされている感もなきにしもあらずだが。

 秀香の脚本を高く評価しており、韓国に紹介すべく翻訳し、上演を決め、記者会見までとってきたので主人公にとっては外形的にはありがたい存在といえなくもないが、行動があまりにも独善的かつ勝手。

 わざわざ秀香の実家にまで連絡を入れ、秀香の脚本が韓国で上演されることになったと告げ、記者会見があるからと秀香の意向もきかず勝手に秀香の韓国行きのチケットを用意すると話を進め、予定が決まったら連絡すると一方的に決めつける。

 無論、これらの大部分は小説の行間から私が勝手に感じた情報に過ぎず、実際にこれほど一方的かつ強引な話の進め方を彼がしたかどうかは定かではないが、こういう人物は私の周囲にもいた。偏狭な価値観でひとさまの行動を決め付け、相手がどう感じているかなど天から斟酌するつもりもないらしく、遠慮しているとずけずけずけずけ勝手に話を進めていく。私だったら、チケットをとるといいだした時点で勝手に話を進めるなとわめき散らし、以後二度と接触しないようにするのだが、まあそれでは話は続かず断ち切れるだけではあるだろう。もっとも、この手のドラマを実体験したいとも、私は露ほども思わない。

 韓国では彼のイヤなやつぶりはエスカレートしまくる。まずは、秀香のためにとっていたホテルを里花の出現でキャンセルせざるを得なくなったことに執拗に抵抗したあげく、いやいや実行。里花宅へ一行が向かう途中でいったん車から降り、別行動をとるが、秀香たちが里花宅へ着く前に電話を入れるせっかちさ。大学で合流した際には「韓国では男同士でも肩を組む。日本人と違って情が厚い」などと吐かす。韓国で言う“情が厚い”というのは、日本でいう“あつかましく無神経”と同義なのかと読みながら私は呆然とさせられた。

 劇団事務所で何人かに紹介されるが、話は噛みあわない。4:30に里花と待ち合わせをしていたことをふと思い出し、秀香とゆきのが突然辞去を申し出たことにより、侮辱されたような顔をする。気持ちはわかるが……。いらないというのに見送るといってきかず、強引についてきたあげく、翌日の予定も勝手に朝9時に迎えにくると決め付ける。

 翌日も、自分の立てた予定に従わない秀香たちに苛立ちを露にする。相手にも意向や希望があるのだとは全く考えられないらしい。一人でぶらぶらしたいという秀香をにらみつけるという身勝手さ。もっとも、秀香の金に対する嫌悪感を感じ取ったのかもしれない。というか、それくらい感じとってほしい感じ。で、あろうことか明日は朝の4:00に迎えにくるといいだす。他人宅に宿泊している秀香は当然のごとく、皆を起こして迷惑がかかるから迎えはいらないと断るが、今度は電話をするといいだす。それも断り、坂の下での待ち合わせを提案するが、4:30では納得せず、4:15にと主張。日本人的感覚からして、これほど早朝にこだわるからには、この時間でないとスケジュールがこなせないということなのかという風に受け取るところだろう。ところが。

 翌朝、3:50に、するなといったのに電話をしてくる。気が狂ってるとしか思えない。叩き起こされた形の里花に恐縮しつつ(里花が怒っていたわけではないが、というか、そういう描写は特にないが)一人で出て、少し迷ったあげく合流すると、里花が彼女を送らなかったといって金は不満を露にする。どこまで身勝手なのかと読みながら呆れ返ったが、さらに唖然とさせられるできごとが続く。

 タクシーで移動の間中、一人で眠りこける。これはまあいい。いや、まあよくはないのだが。まあ眠いのだろう。眠らせてあげても、しかたがないといったところか。空港についても、秀香に起こされるまで気づかない。ホストとして完全に失格だが、人間としては理解できないでもない。あまり理解はしたくはないが。だが。さすがの秀香も、許し難い行為がこの後連続する。

 まず、空港が閉まっている。しかも、何時に開くのかも金は把握していない。一睡もしていないから眠ろうといいだし、荷物の上に腰を降ろして秀香の返事も待たずに目を閉じる。無論、謝罪など一言もなし。

 移動後、会見のための打ち合わせと称して喫茶店へ。突然、秀香の脚本は最初から韓国語で書いたことにして下さいといいはじめる。劇場主の意向らしい。韓国では劇場主の力が強く、そう主張されると逆らえないようだ。このへんは、あまり同情したくもないが同情の余地もなきにしもあらず、といった感じがなきにしもあらず。あまりなきにしもあらずにはしたくもないが、なきにしもあらず。で、そのあとに続く言葉が“そのほうが話題にもなる”。

しかも、記者にもあらかじめそう話してあるといいだす。韓国語は一言も話せないと秀香は抗議するが(もちろん金はそのことも熟知している)、具合が悪くてしゃべれないことにするという。

 ついに、というか、ようやく、というか、ことここに至って秀香も怒りに耐えかね、記者会見のキャンセルを宣言。すると金は、自分が秀香のためにどれだけ苦労したかとか徹夜で翻訳しただのぐだぐだ言い出し、彼女をヒステリーだとにらみつける。しかも、キャンセルするなら秀香が記者に謝れといいだす始末。

 ソウルに帰るから消えろと秀香がいうと、一人で帰れるのかと、バカにしたようにいう。

 言葉もない。蹴り飛ばしてやってもいいと思う。というか、蹴り飛ばすくらいしてやらないと気がすまない仕打ちであり身勝手さだ。

 ここで秀香はようやく金を見限り、ソウルまで移動し始めるが、地下鉄の構内で言葉も通じず困惑する彼女を見ても、この小説の中では誰も彼女を助けようとはしないどころか、罵声を浴びせられさえする。“情に厚い”のが韓国人だといったのは金だからその言葉自体が信用ならないといえなくもないが──私は韓国人の知人も全くいないので、ここに書かれていることがどれだけ一般化できるのか、あるいはきわめて特殊な事情であったのか、そもそもここに書かれている描写自体がでたらめに近いものなのかは判断のつけようもないのだけど──。

 金はともかく、事情もわからず困惑している外国人を罵倒するのが、韓国においては普通なんだろうか。そうは思いたくはない。とりあえず、金はおいておいて、ここはフィクション内の特殊事情ということにしておくのが無難であろう。

 無論、どんな国でも親切な人はいるだろう。柿の木の男に似いた雰囲気の男性が秀香の窮状を救ってくれる。事情をきき、空港に問合わせて飛行機のチケットはないことを確認し、ソウル行きの高速バスに案内してくれ、切符を買い、支払いを申し出るも受け取らず(ここはいきすぎの親切という気もしなくもないが)、秀香がバスに乗るのを見届けて名前も告げずに立ち去る──かっこいいね、この人は。

 それに比べて金のバカは。死ね。

 このあとは金は直接出てくることはないが、厚顔にも上演のポスターを日本の秀香に送ってくる描写がある。罪悪感とか、まるで感じないのだろうか、この手の人物ってのは。





・ゆきの。風元の劇団の女優。当初は主役だったが、途中で風元に切られる。在日三世でクォーター。

 金の強引な誘いの他に、この女性が渡韓したいばかりに強引に同行を申し出たために、秀香の不快な韓国体験が決定的に実現する。金もゆきのも、秀香の意向など天から無視して勝手に話を進めている。このふたりに限らず、この小説の登場人物はこの手の人間がやけに多い。

 韓国では友人の家に宿泊。秀香にも同行を求める。ここの部分は強引にことを決めたわけでもなさそうな描写だが、秀香が気乗りしない様子だったとしてもたいして気にとめなかったのではあるまいか。で、その友人というのが、顔に腫瘍のある女性、里花。

 帰国後は、公演後にNYにいくことを決心し、風元に告げると、風元は、辞めるとわかってる人間に稽古をつける気はないと一言のもとに切り捨てる。その後はあまり出番はない。





・家族。妹は母と秀香がそっくりだと揶揄する。父は釘師でギャンブル狂でDV。絵に描いたような依存家族だ。ああ、やっぱり依存という言葉を使わないと説明できない。父と母は別居しており、秀香と妹は母に、弟は父についていった。現在秀香はひとり暮らし。弟は仕事もせず一日中ゲームをしている。こいつも、秀香の都合など無視してどうでもいい内容の(競馬ゲームの馬の名前は何にする? とか)電話をかけてくる。あげく父親に精神病院に入れられてしまう。その報告を入れにきた父も、雨の中、秀香のマンションの入口で蒼然と佇む姿は年老いた凄惨さを漂わせ、尋常ではない精神状態を思わせる。新居を建てるからまた家族全員で住もうといいだすが、読んでいて金はどう工面するつもりなのか理解に苦しむ。母は父の新居話を喜び、父とは無関係に自分勝手な計画を秀香に語り出す。どうもパトロンから見放されかけているようで、家のローンも生活費もあてがないらしく、こちらも途方に暮れっぷりが半端ない。




・風元。劇団の主催者で秀香のイロ。下世話な単語は小説になじまないが、二人の関係を一言で現すと、わたくし的にはこの言葉しかあてはめられない。

 前回の主演女優との関係が切れてから秀香と関係をもちはじめた様子。

 中盤あたりで秀香の台本を削れといいだし、秀香が拒否すると勝手に削除。しかも実際に上演してみると、改竄された部分ばかりがやたらに評判がいい始末。実に鼻もちならない。

 あげく、父母の離婚の可能性をつきつけられた秀香が、預けていた猫を引き取りにいくと、ゆきのの代役の女優が裸で同衾。実に鼻もちならない。





・辻。劇団の写真家。秀香に手を出し、妊娠させる。堕胎の金は出すが、関係は解消の方向に向かう。秀香が連絡を入れずにいると心配して電話をかけてきたりもするが、無視していると最後には留守電に「もうどうでもいいです」と。




・柿の木の男。本書の中では数少ない好感のもてる人物だが、正体不明。柿の木がある家に住んでおり、秀香が意味もなくついていって一夜をともにした人物だが、性的な関係は結んでいない模様。依存を介さずに交流できた人物で、おだやかな印象が強いが、描写自体があまりないので改めて書き出してみるとまったく正体不明としかいいようがない。家には複数の犬がいる。終盤では家は荒廃し、姿も見あたらず、凶暴化した犬が共食いしているらしき描写が見られ、死んでいるものと秀香は考える。




 物語は、里花を連れ戻すことに失敗して柿の木の男と彼女を喪失し、取り残されることだけを実感したところで唐突に終わる。“文学的”には唐突でもなんでもないのかもしれないが、どうにも腑に落ちない。閉塞状況、袋小路を描出することが文学なんだかどうなんだか。いや、柳美里がそもそも文学を書いたつもりがあるのかどうかも知らないし、正直いってあまり興味もわかないにしろ。

 どうにも、すっきりしない。こういう読書体験は、私はあまり求めていない。とにかく読んでいた大部分の時間を、苛立ちに支配されていただけだ。ある意味で、ストレス解消になっていたかもしれない、とあえて無理矢理意義を見出してみようか。





 さて、最後に、一文。引用しておこう。

<引用開始>他者に見捨てられそうになった時、憎悪をかきたてて自分を防御するという、いつもの方法を里花に試みようとしたが、憎しみの欠片(かけら)さえ姿を現そうとはしなかった。その時、私は憎悪を抱くことが不可能な存在として里花を必要だということに気づいた。そうなのだ、私は憎しみで、この汚濁しきった世界と繋がってきたのだ。そして生まれてはじめて、里花と柿の木の男とだけ憎しみを介在させることなく触れ合うことができたのに、今、私は二人を失おうとしている。<引用終了>(p.236)

 憎悪でしか世界とつながれないとしたら、憎悪をかきたてる相手ばかりが周囲に群がっているのも理の当然ではありますかな。

 そうまでして世界とつながりたい執着が、私には理解できない。

 ひとは、ひとりでもいきられる。

 と、私はいま思っている。それは虚構に、錯覚に過ぎないかもしれないが。



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※この記事は2009-12-30 19:58:53にアメブロに投稿した記事を移転したものです。

なお、移転元の記事は削除済です。


 

posted by 青木無常 at 20:00| デリー 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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